冷たい涙と熱い涙があるよね
お部屋の真ん中に置かれたベンチとコーヒーテーブル。いつもならそのベンチの端にちょこんと伊助くんが座っているはずですが今日はその姿がありません。
猫のくまさんが二階からトコトコと降りてきて伊助くんを探します。あたりを見渡すと寝室のベッドに布団をかぶって丸くなっています。近づくにつれて、ぐすんぐすんと泣いている声が聞こえてきます。
いつも考え事しながら最後には泣いてしまう伊助くんですが今日は最初から泣いているようです。
くまさんは布団に潜り込み伊助くんの隙間に丸まります。残暑は過ぎ去り朝は少し肌寒くなってきました。
「ぐすん……。あっくまさん。おはよう」
少しぽかぽかしながら伊助くんがくまさんに挨拶します。
「おはよう。どうして泣いてるの?」
くまさんが優しく問いかけます。
「うーんどうしてだろう?」
「……ニェ?」
くまさんが呆れたのか驚いたのかよくわからない声を出します。
「最初はね目に何かゴミが入って涙が出てきたんだ。そうしたら涙って不思議だなぁって思ってさ。この涙っていわば目薬みたいな涙じゃない?冷たーい涙っていうかね。でも熱ーい涙が出る時があるじゃない?あれを出してみようと思って。悲しいことを思い出して泣いてみたんだけどなんか熱くないんだよね。だからどうしてだろう?」
「……君はいつも一人で忙しそうだね。」
「……ぐすん。そうだね。でもどうしてだろう。くまさんがいるからか今はちょっとさっきより涙があったかいよ。」
「とりあえずそれが僕に垂れてきてるから何でもないなら涙を止めてよ。」
「そうだね。」伊助くんはそう言うとぴたっと泣き止みました。
「あとお腹すいたんだけど。」
くまさんが濡れた毛を前足で整えながらこぼします。
「あっ!ごめん!それじゃ行こうか」
パッと布団をめくり伊助くんとくまさんは飛び出します。ふたりでいつものベンチに座ります。伊助くんはコーヒーを飲みながら、ボウルに盛り付けたご飯を食べるくまさんの背中にそっと手を当てています。ご飯を食べ終えて顔を洗うくまさんを見て愛しくなった伊助くんは問いかけます。
「ねぇくまさん。何で僕たちは悲しいなんて思うんだろうね。」
「悲しいってどういう気持ちなのさ?」
「悲しいは悲しいだよ。ぐわーって悲しみが体の中を走り回ってねじ切れそうになるの。」
伊助くんは手をバタバタさせて説明します。
「それは怖いね。」
「確かに。僕が今の所知っている悲しみっていうのは失う怖さっていうのが近いかも。でも失うって何で悲しいんだろうね。本当に気持ちが先にあって悲しいのか、悲しいって気持ちを誰かが僕に押し付けたから失った時に悲しくなるようになったのか。僕にはもうわけわかんなくなってきたよ。」
「伊助くん。僕がいなくなったら悲しい?」
はらはらと伊助くんの目から大粒の涙が流れます。くまさんは顔を洗っていた前足を伊助くんの頬に押し当てます。
「悲しいに決まってるじゃないか!お願いだからそんなこと言わないでよ!」
そう言って伊助くんはさらにうわんうわんと泣き出します。
「じゃあその悲しいは正真正銘伊助くんのものだよ。」
「ほんとに?よかった。」泣きじゃくっていた伊助くんは安心したように泣き止みました。
「いつかその悲しみを誰かと分かち合えるようになるといいね。」
くまさんが前足でぽんぽんと伊助くんの頬を叩きます。
「どういうこと?不思議なくまさん。ぼくの悲しみはぼくにしかわからないんだよ。」
伊助くんは不思議そうにくまさんを見つめます。しばらくしてくまさんがいいます。
「だからだよ。」
(第四話前編へ続く)
第三話あとがき
第三話はこれまでと少し様子が違います。ここでいう悲しみが意味するものとは何でしょうか?
それは伊助くんが無意識的に避けている対人関係、人間関係全体を指し示しています。
すべての悩みも喜びも対人関係の中にある。
伊助くんが一歩踏み出せるのはもう少し先になりそうです。次回は番外編を挟んだあと、第四話へとつづきます。伊助くんはまたあっちへいったりこっちへいったりします。それは私自身も伊助くんと同じで根本的なところを避けているのかもしれません。一緒に成長していきたいとおもいます。
(番外編はこちら)